ひよの日和見ひとりごと

流産から気持ちが落ち着くまでよろしくお願いします

いいのかな

ひとつ前のブログで前向きな事を書いたばかりなのですが、3歩進んで2歩下がります。

時折「いいのかな」と思います。

例えば穏やかな気持ちのとき。
例えばご飯を美味しいと感じたとき。
例えばテレビを観ていて、思わず笑ってしまったとき。

あれ、私お腹の中に亡くなった我が子が居て、出してあげてもいないのに、こんな明るい気持ちになっていいのかな。
そう思います。

サバイバーズギルトの一種でしょうか。

両親の有り難さ

昨日は案の定メンタルがやられてしまい、夜布団でベソベソしたりしましたが、今日になって少し落ち着いています。

今は実家にお世話になっていて、退院後4~5日くらいまで滞在させてもらう予定です。
予期せぬ入院日の延期(私が勝手に予測していただけですが)で、半月以上もこちらに居ることになります。
申し訳ない気持ちもあるのですが、それ以上に有り難くて感謝の気持ちで一杯です。

自宅では、旦那は勿論平日の日中は仕事で居ません。
特に3月は年度末で残業が増えます。
誰もいない部屋にずっと独りで居ることが、今ほど辛かったことはありません。
動かないひよこちゃんをお腹に抱えて、ただ時間が過ぎるのを待つのは、想像しただけで心が潰されそうです。

両親は私から話を振らない限り、触れてほしくない話題には触れません。
変わりなく会話を楽しめます。
そりゃたまには傷付く事もありますが、すぐに水に流せます。
信頼している親だからでしょうね。
それにお互い様でしょうし。

誰かが傍にいてくれる事で救われる。
その誰かが旦那であったり、両親であったりと言うのは、私がとても恵まれている証拠なのだと思います。

こんな私ですが、今回の事がある前は一人の時間が大好きでした。
よく一人ランチでカフェはもとより、ラーメンや丼、カレーなんかも食べに行っていました。
焼き肉だけは無理だったな。

受診

時間きっちりに総合病院の受付を済ませ、産婦人科待ち合いに行きました。
総合病院と言うだけあって、他の沢山の科と横一列で待ち合いとなっており、妊婦さんばかりが居られるわけではありません。
また、ある程度週数のたった妊婦さんは、別のフロアにある待ち合いに(恐らく産科)行かれるようでしたので、待っている間に心乱れる様なことはありませんでした。

順番が回ってきて、まずは内診からとなりました。
カーテン越しにエコーを確認する先生(壇蜜さん似の美人かつ優しい)。

先生:「…うん、そうですね。確認しましたけど、心臓止まってしまってますね」

私:「はい」

それしか言えません。
暫くひよこちゃんの大きさなどを計測されたあと、先生が優しく聞いて下さいました。

先生:「画面、見られますか?」

私:「いえ、いいです」

勇気が出ませんでした。
診察台に乗った時から半泣きだったのです。
見てしまうと、また涙が止まらなくなるのが分かっていました。

診察室へ移動し、私の体調と処置の話をしました。
やはり子宮口を広げて促進剤を使っての分娩という形をとる事になりました。

予想外だったのは、入院が来週からになってしまったことです。
慎重に物事を見る病院のようで(それとも先生によるのかな)、促進剤を使っても人によって効きが違うため、長めに日程を取りたいそうです。
今週末から連休に入りますので、休み明けの21日から入院です。
最短で2泊3日だそうです。
何なら日帰りかもしれないと考えていた私には、驚きがありました。
そして、また生殺しのような日が1週間も続くのかと少し心が重くなるのです。
前向きに捉えるなら、ひよこちゃんと少しでも長く居られると思わなくてはいけないのでしょうが、今は無理なようです。
ごめんね、ひよこちゃん

診察の先生、担当の看護師さんは終始優しく寄り添って話をして下さいました。
安心できました。
入院の段取りを考える際にも、周りが出産を控えた方や出産直後の方が殆どなのを考慮し、なるべくなら個室をと提案して下さいました。
これは私も考えていましたので、是非にとお願いしてきました。

結局トータル3時間ほど病院で過ごし、外へ出たときにはどっと疲れが襲ってきました。
緊張しまくっていたのでしょう。

1週間かぁ。

いいえ、に戸惑う

総合病院からかかりつけ医へ、診察申し込み書なるものがFAXで送られてきていましたので、紹介状と共に受け取りました。
住所・氏名と、簡単な問診を記入するような形になっており、自宅で仕上げて受診の際に紹介状と提出して欲しいと書いています。

実家に着くなり早速ペンを走らせていたのですが、とある質問に一瞬怯んでしまいました。

希望する受診科を尋ねられた次、

産婦人科→妊娠ですか?」

と書いてありました。
少しだけ手が止まったあと、「いいえ」に丸を付けました。

手が止まっている間に感じたのは、悔しさだったのかな。


明日の受診待ちの間、周りの妊婦さんを見て優しい気持ちを持てたらいいのですが、やや不安です。

病院からの連絡

朝一でかかりつけ医から電話が入り、処置を受ける総合病院の予約を取って下さったそうです。
まずは受診をしなければならない為、明日の10:30に総合病院へ向かいます。

先程かかりつけの病院へ行き紹介状を受け取り、今は実家への帰路についています。
気持ちは不思議なくらい凪いでいます。
明日からはまた不安定になるでしょうが、落ち着ける時間にこれからの試練へ少しでも備えたいと思います。

羊水検査

今回の妊娠は高齢出産となってしまうため、実は経過が良くとも羊水検査を受けようかなと思っていました。
賛否両論ありますよね。
重々承知した上で文章を書かせて頂きます。
失礼な表現も多々あるかと思います。
素人のとんちんかんな発想も散らばっていると思います。
気分を害されてしまう方がいらっしゃると思いますので、ご自身の判断でご覧くださいね。(なんとこんな自己満なブログを見てくださっている方が沢山おられるようなのです。有り難うございます)

少し前の記事に私の周りの流産経験者の話に触れましたが、そのなかには身内の話も含まれています。
彼女は辛い流産を体験したあと、可愛らしい女の子を授かりました。
本当に無垢でキラキラしていて、笑顔の素敵な女の子。
ハンデがありました。
母親となった彼女は、女の子のためにそれはもう献身的に出来ることの全てをやって、与えられる全ての愛情を注いでいるように感じました。
けれど1年も経たず女の子は虹の橋を渡ってしまったのです。
その時の彼女の嘆き哀しみ様はとても筆舌に尽くしがたく、私の記憶に残っています。

女の子のハンデは、羊水検査で分かるものでした。
分かったからといって、彼女がどうしたかは分かりません。(表現ややこしいですね)
ただ、私ならどうしたかな、と考えました。
そこからぼんやりと羊水検査を受けようと思うようになりました。
彼女のような立派な母親になる自信がなかっただけなのかもしれません。
人間的にも未熟で狭量な私が、全てを受容できるとはとても思えなかったのです。

今となっては、検査を受けようと考えてはいましたが、その結果如何でどうこうしようと具体的に行動を定めていたわけではないと思います。
ひよこちゃんがこうなって尚更、もし次に妊娠できたとして、検査を受けたとして、私はどうするだろう。

次を考える前に、今やるべきことが山積みなのですが。

仕切り直しの電話

昨日すげなく(?)切られてしまった親への電話、本日向こうも落ち着いたようで夜にかかってきました。

ざっと今までの経緯と、恐らくそうなるであろう明日からの予定を話し、暫く実家にお世話になることを伝えました。
母はとにかく私が精神的・身体的に大丈夫かが心配なようで、言葉の端々にそれが伺えました。
私は状況を伝えながら泣いてしまうかもと思ってハンカチを握り締めて電話していたのですが、母の声を聞くとひどく安心して逆に冷静に穏やかに応対できました。
母は偉大だなぁと思います。
私も3ヶ月ほどひよこちゃんの母親になれましたが、ベソベソ泣いてばかりで偉大とは程遠いです。
ひよこちゃんの溜め息が聞こえてきそうですねぇ…

話し合いの結果、やはり明日病院からの電話を待って実家に向かうことになりました。
お恥ずかしながら昨日の病院での出来事は全てが流されるままに過ぎたため、紹介状のが必要なのかどうかも聞かずに出てきてしまいました。
それを確認してからの出発です。
気持ち的には少し物事が動き出してほっとしている部分もあり、どうなるのかの不安もあり、と揺れる乙女心です。あ、すみません、おばさん心です。

今日は少し眠れましたが、変な時間に目が覚めてしまいました。